2004年06月20日

[書評・評論] 発信箱-新聞記者の資質

 6/16の毎日新聞の「発信箱」でA記者は生命倫理の問題の中で、数学者は変わり者でなんでも定義を重視すると記している。

 「生命倫理を審議する国の委員会・(中略)・・白熱する議論の最中に「倫理性というのは、定義されているのか」と唐突に発言し、会場をしーんとさせたのを目撃している。
 確かに、数学者には定義のない議論は無意味だろう。だが、生命倫理は数学とは訳が違う。」

 議論をするには、言葉が定義されているのは最低条件である。これは数学者うんぬんが風変わりだとかいうことではなく、そもそも言葉の定義が議論の参加者で統一されていなければ議論は成立しない。
 生命倫理のような複雑な問題であればなおさら、一つ一つの用語を定義していかなければ物事を議論したり積み上げていくために必要不可欠だろう。定義のないものは当然、科学(学問)的ではないため、議論の蓄積による進歩は難しい。単に議論で口のたつ人の意見が勝つだけのことである。定義を明確にして議論の土台を作らないと議論そのものが砂上の楼閣なのだ。
 そして、もし、本当にこの記者が記すように、委員会で数学者の発言が理解されなかったのであれば、委員会のメンバーは議論をする資質に根本的に欠けていることになる。
 企業活動においても、きちんとした経営がされているところは一つ一つの言葉の意味が定義されて文書化されているものだ。それができていないところは物事の洞察がそもそも浅いため良い企業ではない。例えば、製造業において「整理、整頓、清掃」という言葉はすべて専門用語として一般用語とは別に意味がきちんと定義されている。
 つまり、言葉の定義は学問の世界や文系理系などには関わらず、社会活動におけるもっとも基本的なことの一つなのである。
 毎日新聞のA記者は、最後の方で定義の必要性を感じるような文章で締めくくっているが、新聞記者という文字情報を扱うことを生業とされているのに、全くこういう基本を理解していないことが分かる。
 マスコミ関係は、報道したり掲載したりする文章や記者の質をもっと抜本的に上げるべきだと思う。政府の暴走を止められるのはマスコミぐらいしかないのだから、政府の構造改革のだらしなさを批判する前に、まず、自らの付加価値を高め、質を向上させる「改革」を進めてほしいものだ。


posted by macwin at 15:24| 京都 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 書評・評論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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