2004年04月17日

[書評・評論] 「近聞遠見−粗雑すぎる靖国・違憲判決−」

 久々に近聞遠見について記そう。
最近、批評をあまりしていなかったのは、以前のように主旨も論理も意味不明と言うことが無く、内容的にも悪くないなと思っていたからで楽しませてもらっていたからである。
 また、あまり更新されていなかったネットも毎週すぐに掲載されるようになったことは好ましいことだ。
 今回は4/10掲載の「粗雑すぎる靖国・違憲判決」について、批評と言うより、反論しようと思う。

 まず、岩見氏は判決文を元に今回の違憲判決が粗雑であるとしている。司法の公正さという観点ではあながち否定できない部分もあると言えるが、靖国問題という観点では、氏は最も根本的な部分を見誤っていることを指摘したい。
 コラムから読みとれる氏の前提条件は、以下の通りである。引用する。
「8日の衆院憲法調査会の討議で、自民党の森岡正宏(衆院・比例近畿)が、『なぜ首相が、国家のために命を落とした人をまつる神社に参ってはいけないのか。1人の地裁判事が私的な気持ちを判決の名を借りて吐露し、それに対して(首相側が)控訴もできない仕組みがおかしい』と異議を唱えたが、そのとおりだ。だが、参拝をめぐる騒動の主たる原因は、中国の執ような反対圧力によるもので、いわば騒動の震源地に一般の興味が集中した結果とみるのが常識的だ。神道への信仰心が高まったわけではない。それがなぜ、援助、助長なのか。」
 上記は靖国問題についてのあくまでも氏個人の個人的見解である。と言うのは一切の論証や事実確認なしで事実と決めつけている。いきなり「常識的だ」と、人によって常識は異なるにも関わらず断定するところが特に顕著である。
 この裁判の本質とは何か。それは「政教分離」が争点だということである。それが争点なのに、森岡氏の発言のみで政教分離の判断を回避して靖国参拝は当たり前だとしてそれ以上の事実確認や論証もしないのは、論外ではないか。
 また、争点が政教分離である以上、中国等の諸外国は本質的に争点ではないし、参拝騒動の主たる原因は外交問題であるというのも氏個人、もしくは政治家の中だけの偏った価値観である。繰り返すが、靖国騒動の本質は我が国の国内問題としての「政教分離」である。
 結論から言うと、小泉首相が「内閣総理大臣 小泉純一郎」と記帳して政治的パフォーマンスを目的として(参拝後必ず談話がある)いるなら、憲法の政教分離に反するのは自明である。公人としてであれば靖国だろうと伊勢大社であろうとだめに決まっている。(ただし、個人としての参拝の自由は憲法で保証されている)
 読売新聞ならともかく、毎日新聞の重鎮が狭量な視野で特定の価値観しか認めることができずに、本質的なことを見誤りながら重箱の隅をつつくようなことを書くのは嘆かわしい。それ以前の問題だ。
 毎日新聞の重鎮には感情論や偏った「常識」に捕らわれず、マスコミらしく客観的なことを論理的に整理して記してもらいたいものである。


posted by macwin at 10:35| 京都 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 書評・評論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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