2005年09月12日

[ビジネスと経済] IT産業の発展はあなたを豊かにしない(はず)

 ライブドアの堀江氏のように、1990年代後半からIT産業なるものが台頭してきた。しかし、ITバブル崩壊などもあったようにIT産業は景気回復にあまり強い力を持っているとは言えない様に見える(素人なので分析してませんが)。

 これがなぜかについて考察してみる。

 IT産業というのは何か。

本質的には、情報技術の進歩による情報伝達の効率化だろう。分かりやすく言うと、

【前】 A社がB社にある情報を渡すのに、100人の人が事務作業をして10000円必要だった。

【後】 あるIT業者がAからBにある情報を渡すのに100円でできるようになり、人も2人でできるようにした。そして、A社に500円で売り込んで仕事を取った。

 というようなことだと考えられる。この場合、A社は100人を首切りしない限り得をしないので、リストラ等で人員削減する。

 そうすると、トータルで見ると、

  • 得をしたのはIT業者とその従業員2人とリストラしたA社
  • 雇用は100人→2人に縮小。
 

ということになる。つまり、この展開は、企業の業績は上がるが、雇用が減るので国民総所得が減って購買力が落ちてしまう構造にある。

 また、経済数値などはよく知らないが、仕事と言う観点で見ると、情報伝達コストを下げるというのは要するに手間賃を下げるだけなので、社会全体としてみると富を生み出しているとは言い難い(IT産業発展にともなう電子機器の増産は除く)。つまり何も生産はしていないわけだ。

 よって、IT産業の発展と言うのは、単に

「富が特定のグループや人たちに移動する」

という現象が起こっているだけと考えられる。

というわけで、何かを生産して生み出さない限り富は増えないのだから、IT産業が発展してもごくごく限られたビルゲイツみたいな人が富を独占するだけで、我々一般サラリーマンは、今後、ますます収入が下がっていく可能性が高いのである。

 ダイエーなどの高度経済成長を支えた旧タイプの金持ちを潰して堀江などを擁立する小泉政権が何を見ているのか皆さんにはよく考えて欲しい。

 
 
 


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[ビジネスと経済] 選挙後の経済展望(序文)

 自民党が圧勝した。今回の選挙で、結局は無党派層を抑えたものが勝ちという小泉首相の主張が正しいことが立証されたと言えるだろう。

 また、一概には言えないが、無党派層というのは、直接的な利害や繋がりが薄いから、いわゆる「支持基盤」の人ほど、いろいろ考えていない可能性が高い。つまり、この辺を狙うなら小泉首相のような、インパクトのあるキャッチフレーズ、巧みな論理のすり替えによる説得が最も効果的だということになるだろう。

 ヒトラーは民主的に登場したわけだが、これからが思いやられる。

 さて、今回から何回か経済面からいくつか記してみることにしよう。

posted by macwin at 20:20| 京都 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ビジネスと経済 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年02月26日

[ビジネスと経済] ライブドアとフジテレビ

 盛り上がっているこのテーマについて、今更ながら、少し触れてみたい。

この顛末を見て私が思うのは以下の通りである。

 ライブドアがやっていることはアグレッシブであるが合法であり特に問題はない。

 フジテレビなどは明らかに経営陣の保身のみで動いている。いくらライブドアに買収されないことが公益性や株主の利益を守ると主張してみても、実際の動きは公益性も株主でもなく、旧態依然とした経営陣の保身としか見えない。

 当事者以外でライブドアに批判的なのは保守的(変わりたくない)人々のようだ。批判的なのは、政治家、既存の経営者、マスコミ。例を挙げると、テレビ東京系のWBSでもキャスターなどがしきりにいろいろライブドアの堀江社長に質問していたが、概して懐疑的、否定的であった。他の報道でも新興勢力の台頭に驚異を感じるような論調が散見されたが、要するに変化にとまどいを感じているのがありありと感じられる。つまりオールドピープルだろう。

 規制緩和に熱心な政府は即日規制の検討を始めたのは矛盾だろう。要するに、規制緩和というのは、国民のためではなく、圧力を持つ既存企業のためにやっていると言うことがはっきり分かる。既存企業が儲かるところは緩和して不利益を被るところは規制する。

 ライブドアのやり方はアグレッシブなので必ずしも諸手をあげて賛成するものではないが、要するに新興勢力と政府を含めた旧勢力の対立だろう。

 まぁ、信長(とまではいかないかもしれないが)が現れたときの室町幕府周辺みたいな感じを受けますね。

 そして、ライブドアのやっていることは合法的で、ニッポン放送の新株予約券の発行は違法の可能性が高いのだが、恐らくまだ日本は旧勢力の方が強いので、この勝負は「日本は法治国家であるにも関わらず」ライブドアが負けるんじゃないかなと思います。

posted by macwin at 21:41| 京都 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ビジネスと経済 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年10月12日

[ビジネスと経済] ダイエー再建を邪魔しているのは誰か。

 ダイエー再建に産業再生機構なるお役所が支援するのは没になりそうであるが、このダイエー再建を最も邪魔しているのは誰だろうか。

 それは銀行である。なぜなら、再建中の企業であれば社長以下、再建のみに全神経を注力しなければいけないわけだが、恐らく今、高木社長と役員、および中央のスタッフ部門は、銀行やお役所対応で一杯一杯だろう。彼らを本来業務から遠のけ、商売上役に立たない交渉事などに引っ張り回している銀行(と役所)こそ元凶であろう。

posted by macwin at 07:46| 京都 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ビジネスと経済 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年08月11日

[ビジネスと経済] ダイエーは再生機構を使うべきではない。

 ダイエーが経営不振を脱するために、銀行や竹中大臣などから、産業再生機構を使えと言う圧力を受けているらしい。

 これがなぜおかしいかを以下に記す。

 まず第一に、産業再生機構を使うと言うことは、「民間より官の方が会社の再建がうまい」ということで、官から民へという小泉改革の理念に矛盾する。これはりそな銀行の国有化でも同じことで全く自己矛盾している。官ではだめだから郵便局は民営化するのではないのか。つまり、官ほど非効率な組織はあまりないのだから官の再建がうまくいくかは考えてみるといいだろう。

 次に言えることは、倒産企業が増やして改革が進んでいると自画自賛してきた小泉首相の構造改革、銀行を潰してお喜びになっている竹中大臣の経済政策と全く共通している根本的な問題である。ダイエーが産業再生機構の支援を仰ぐと、より強烈な事業の整理などが行われるであろう。しかし、事業の整理によるダイエーの再建は、まさにダイエーしか見ていない部分最適である。企業が不採算部門を整理して人員整理して業績を改善する。これは、たとえて言うなら、子供が多い赤字家庭が家計を黒字にするために、子供を家から追い出すようなものである。かくしてその家庭は黒字化するが町にはストリートチルドレン(家なき子。失業者)が増えるわけだ。今、日本がマスコミも乗っかって一生懸命やっていることはこういうことだ。まともな家庭なら子供もバイトさせてでも収入を増やして家計を改善する努力をするものだ。人員整理して業績が上がるというのは、無能な経営者でもできる最後のというか最もレベルの低い施策で、これをやった経営者はVターンしたとして称賛を受けているがその足下には大量の失業者や自殺者がいるのである。実害がないテポドンより遙かにたちが悪い。

 再生機構がダイエーに入ると、ダイエーを残す(再建する)ために、恐らく帳簿主義で数字が悪い事業を切っていくのではないかと思われる。そうすると、当然多くの失業者を生むわけだが、それに加えて不適切な事業整理をして必要以上にダイエーの体力を弱小化させる可能性が高い。ダイエーは確かに残るかもしれないが、日本経済全体で見ると生産や所得は落ちるので国力が落ちる。つまり部分最適である。

 小泉・竹中改革も同じことで、一握りの勝者(Vターン企業)を作るために、大量の敗者(失業者、倒産企業)を必要以上に作り、日本の貧富の差を拡大することを意味する。そうすると、やはり国力が落ちる。中流階級を潰すと言うことは、プロジェクトXみたいなことをしてきた人々が持つ、技術や技能、熱意を捨てることに近い。

 よって、ダイエーは変な圧力に屈せず、再建して欲しい。このままでは日本は発展途上国になってしまう。

posted by macwin at 00:19| 京都 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | ビジネスと経済 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年03月25日

[ビジネスと経済] やる気を金で釣る

 相変わらず成果主義賃金の問題点を指摘しよう。

 社員のモチベーションを「金」で釣ろうというのは最も知恵がない方策であるだけでなく、一度やってしまうと、やる気を維持するために永続的に金を払い続けなければいけない。

 こういうのは全く無駄なお金の使い方である。

 良いお金の使い方とは、一回の投資で永続的に効果を得ることである。それには知恵を働かせることが必要だ。

 そもそもやる気というのは、あって当たり前というか、無いのに給料をもらう方が問題である。それなのに、やる気を引き出すのに金を積むというのは全くナンセンスである。

 改善コンサルトの柿内氏の改善5箇条に、

「金で逃げるな知恵で勝て。」

 というのがあるが、まさに金で逃げて、金をどぶに捨てるのが成果主義賃金で、人事部の知恵のなさを示していると言えよう。

 であるから、こういうことも分からないような、だめな人事部は別として、成果主義賃金の真意は賃下げにあると考えて良い。賃下げをするのだから、社員のモチベーションは間違いなく下がる。

 恐らく、短期的には人件費が減少してコスト改善するだろうが、長期的には生産性が落ちて、企業体力は弱まるだろう。

 成果主義賃金を導入した役員(か人事部長)はその果実を得るだろうが、彼が退任した後にダメージがくるのだ。

 社員のモチベーションはマズローを持ち出すまでもなく、仕掛けで引き出すべきものである。
posted by macwin at 00:13| 京都 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ビジネスと経済 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年03月21日

[ビジネスと経済] トップダウンとボトムアップ-2

 thin or dieというサイトの会員制ページで、欧米人と日本人のビジネス上の違いを文化的な視点から的確に喝破していると思われるものを読んだ。

 非公開ページなので引用は避けるが、主張を要約すると以下の通りだ。

「欧米人は一神教的な価値観を持ち、物事には唯一の普遍的な原理があるという暗黙の前提を持っている。これに対し、日本人は汎神論的な価値観で、普遍的で唯一の原理のようなものはそもそも存在せず、個々の物事そのものが個々の原理を持っているという暗黙の前提を持っている。」

 私は、3/14に不十分ながら組織におけるトップダウンとボトムアップについて、

2004年3月14日[ビジネスと経済] トップダウンとボトムアップ

で記したが、満足のいく説明ができなかった。しかし、先の著者の指摘は、私に一つの回答を与えてくれたと言えそうだ。

 著者は、上記に基づいて、下記のように論を進めている。

 日本人は無数の原理が共存するという暗黙の前提を持つので唯一の原理を「排他的である」として避ける傾向を持つ。これに対し欧米人はそもそも原理は唯一であり無数に共存できないという暗黙の前提を持っているので、無数の原理は普遍化して統一しなければいけないと考える。
よって、欧米的な組織において変革を起こす場合、唯一の普遍的原理を変えれば他の物事もその原理に従属して変わる。これに対し、日本的な組織では統一的な原理はないと考えるから、個々の物事の変革の積み重ねが広がることを通してのみ全体が変わり、全体の調和は統一的な原理でなく人間的な共感や仲間意識によって保たれる。

 欧米人は唯一の原理によるモデリングでビジョンなどの未来の姿を描いてそれに向けて進むが、日本人は未来を予め描けないと仮定しているので、未来ではなく現在の個々の事象を個々に把握することにのみ関心が向けられる。

 つまり、欧米的な文化では、統一的な原理原則を持って全体を統制できるから組織は自ずからトップダウンとなり、日本人的な文化においては、そもそも統一的原理原則は認めないから個々の個別改善を集積するボトムアップ型の組織にならざるを得ないと言うことだろう。組織全体の調和をビジョンでなく周囲との関係を見て行うから、そもそも我が国の政府も含めて日本的な組織に明確な方向性やビジョンがないのもある意味、当たり前なのだろう。

 トップダウンとボトムアップはどちらが良いかという二者択一のものではないが、変化を少しずつ蓄積して発展する場合、全体の統制はコストや統制をしなくても個々が自律的に行われるから管理コストを低く抑えられボトムアップ型組織は底力を発揮する。しかし、ボトムアップは方針もビジョンもなくその場その場で最適なことを人間的な共感を元にして進めるので、BPRのように思いっきり「構造改革」するのは不可能だろう。「構造改革」はやはりトップダウンでなければできない。しかし、トップダウンで物事を進めようとすると、日本企業では多くの場合、現場の抵抗というのが起こる。

「お上が考える理想論なんて信じられない」
「理想と現実は違うよ」

これはそもそも統一的原理など信じない、目の前の個々の現実のみが現実という価値観から来ると考えられ、欧米ではトップダウンで事が決まるのに日本ではトップダウンでは事が進まない理由だと思われる。

 私はメーカーで生産技術の立場で会社を変革させる業務に付いているが、実際の推進にあたっては「着眼大局着手小局」で、一部にて試行してその成功例を水平展開するという手順で進めることが多い。これは、トップダウンで統一原理でビジョンを示して、実行段階ではボトムアップ型という「和洋折衷」方式を取っていると言える。だから、実際に現場に埋もれて、共に悩み、汗を流し、宴会(私は酒は飲まないが)をするというのが重要となる。欧米人には分かるまい。

 よって、「構造改革」やBPRをするには、トップダウンが不可欠だが、日本的組織では、それだけでは失敗する。実行フェイズではボトムアップ型の取り組みが必要と結論付けて良いのではないかと思う。

 ちなみに、余談だが、私が普遍的原理とか、個々の事象から抽象化することに関心が強いのは、元々の個性もあるが、十代の頃にクリスチャン(キリスト教徒)になったことが大いに関係があると自らを振り返って思う。

 そういう意味ではこれからの変革期においては、勿論必須条件ではないが、クリスチャンというのはトップダウンとボトムアップを自分の中に共存させているので変化の時代に活躍できる素養を持っているように思う。
posted by macwin at 19:19| 京都 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ビジネスと経済 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年03月16日

[ビジネスと経済] 国力を落とす成果主義

 小泉の波立ち(小泉純一郎の改革を論じる)
の、

●ニュースと感想(3月16日b)「発明者報酬」について。

で、青色LEDの中村修二に倣うより、会社にあわせてゴマスリして他人の成果を横取りした方が経済全体は別として個人としては得であるとしている。

 これの根拠として、

 実は、日本の経営者は、(中略)平凡な人々に対しては「成果主義」と主張するが、独創性のある人々には、「成果主義なんて嘘だよ。本当は協調性と共同性が大事なんだよ」と主張する。二枚舌だ。

としているが、私も全く同意である。

 よって、個人の対応として、上記は表現は極端であるが一つの合理的対処方法だと思う。

 また、最後に付記として、

「『構造改革』というのも、実際に何かを改革することが大切なのではなくて、『構造改革』という言葉だけをぺらぺらと出して、何もしないことが大切なのである。実際、それをやった小泉は、無能ではあるが、いつまでも総理をやっていられる。最近では稀に見る長期政権になれそうだ。国民に対するゴマスリと、自民党内における管理能力が、とてもうまいだけ。そういう口先だけの無能男が、日本ではいかに優遇されるか、いい見本だ。日本は没落しても、彼だけは儲けることができる。」

あるが、これも全く同意する。

 成果主義を始めとする経済界の動きや小泉首相の構造改革などの動きに騙されてはいけない。

 今の動きから考えられることは、小泉首相や政府、経営者は、日本全体のことを考えているというより、95%以上の人々から搾取して、自分たちが得をする社会に変えようとしていると見たほうが適切である。

 もし、彼らが本気で日本のためになると思っているようだったら、思っていることとやっていることが論理性、合理性を欠いているので、今度は彼らに重要なことを任せる資質にかける事を意味する。

 いずれにしても私は、小泉首相や今の経済界の政治的な動きは支持しない。

 ピンとこない人は、冷静に考えてみよう。

  • 構造改革で一般国民の負担は増えているという事実。
  • 構造改革や社会を動かしている人たちは元々金持ち階級。

 このまま行くと我が国は徐々に衰退するだろう。

 まずは、小泉首相の支持を止めることが、私たち一般市民の財布と日本の将来のためである。それと会社でゴマスリすることかな?
posted by macwin at 12:37| 京都 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ビジネスと経済 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年03月14日

[ビジネスと経済] トップダウンとボトムアップ

 トップダウンとボトムアップ。これは非常に奥深い話で、私も今回だけで書ききることはできないだろう。しかし、大ざっぱに言って、日本はボトムアップ型の社会、欧米はトップダウン型の社会と言っていいと思う。

 日本のベースはボトムアップ型の社会と考えられる理由はいくつもある。いくつか挙げると、

「自粛」などのように自発的に善し悪しを判断して自律的に動くという文化。
親分は子分の提案を受けて承認するだけで、後は部下に任せる。
今後はともかく、多くが中流階級で貧富の差を含めた階級格差がなく、努力すれば(学歴を獲得すれば)這い上がれた。
 ピンと来ない人もいるだろうから、欧米圏について書いて見よう。と言っても住んだことはないので正確とは限らないが。

  • 明文化された契約や規定、上司からの明確な指示がない限り動かない文化。
  • 企業活動などもトップダウンが基本で、エリートが全てを支配する(したい)。これに基づいた経営手法が、ERP(エンタープライズ・リソース・プランニング)である。しかし、大企業のあらゆる情報を瞬時に正確に把握して正しい決断をするという経営手法は、人間には不可能なので、ERPパッケージなどという数億円もして、維持費も毎年数千万円以上するソフトウェアを買ったりする。
  • 階級(身分、貧富、人種)格差が明確にあり、逆転のチャンスはほとんどない。日本は今この方向に向かっている。
 このようにかなりの違いがある。

 日本で、製造業の小集団活動や現場改善が高度経済成長を支えてたのは、一重にこのボトムアップ型の文化が当時の日本の状況にマッチした事によると思う。

 欧米はテイラーの科学的管理法などを生み出し、理論的には進んでいるが、日本の「改善」は「KAIZEN」として英語の辞典にも載っており、improvementでは説明しきれないということで、しばしばContinuous improvement(継続的改善)と説明されている。このような地道な創意と工夫の「KAIZEN」などはいちいちトップダウンでやってられないので、ボトムアップが基本である。

 それが、今、ビジネスも世の中も一気にアメリカ化を始めており、トップダウンに向かって大きく変化しつつある。

 ボトムアップは総員攻撃という強みはあるが、上手に統制しないと、ボトムの視点は当然ながら低いし、持っている情報も非常に僅かで局所的過ぎるため、誰が経営しても成長した時代は別として、今のような時代は「ボトムの良きに計らえ」では、まさに部分最適となって全体として滅茶苦茶になってしまうリスクが高い。

 かと言ってボトムアップの良さを捨てて、トップダウンに面舵一杯では文化的強みを捨てることになり勿体ない。

 と言うわけで具体的な提案まではいかないが、ボトムアップの良さを活かすトップダウンとしなければ、結局、アメリカの猿まね、後追いになってしまうのではないかと思う。
posted by macwin at 22:33| 京都 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ビジネスと経済 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年03月03日

[ビジネスと経済] 成果主義賃金の過ち-3.経営責任を一般社員に転嫁する

3.結果で評価とは、経営責任を一般社員に責任転嫁すること。

 成果主義とは、字義通り取るとプロセスや働きではなく結果で評価するというものだろう。しかし、社会や株主からプロセス無視で結果責任を問われるのは本来経営者で、経営者と管理職は一般社員を上手にマネージメントして組織の成果を出す責任があるのに対し、一般社員はそうではない。

 一般社員は”プレーヤー”であるから、業績という結果を出す直接の責任はなく、与えられた自分の職務の中で良いプレーをすることが重要なのである。そのプレーヤーに結果責任を負わせるのは、経営者が無能であると自白するに等しい。

 分かりやすくスポーツに例えると、ゲームに勝つためにプレーヤーがすべきことはベストのプレーをすることしかない。しかし、良いプレーは勝利を約束しない。いくらみんながヒットを沢山打っても監督の采配が悪くて得点に繋げられずに負けたら、それはプレーヤーではなく監督の責任なのである。

 また、選手はまぐれ当たりのホームランとか相手のエラーによるヒットなどの単なる結果である”成果”で評価されるべきではないし、相手の超ファインプレーでたまたまアウトになったけれど、素晴らしいヒットであれば評価されるべきである。

 このように経営者、マネージャーは成果で評価されるのは適当であるが、プレーヤーである一般社員に結果責任を負わせるのは不適切なのである。

 プレーヤーの評価はプレーの善し悪しで評価すべきである。
posted by macwin at 22:12| 京都 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ビジネスと経済 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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