2004年03月03日

[ビジネスと経済] 成果主義賃金の過ち-2.業績が悪いときは経営リスク

2.企業にとって業績が悪いときの経営リスクとなる。
 個人の成果が著しくても、経営上のミスや外部的な要因により会社の業績が悪化することが多分にあり得る。こう言うとき、10倍のような高給を払っていると一気にそれが重荷になると考えられる。

 従来は、定期昇給もベースアップを抑えることで全体の賃金を抑えれば良かったが、成果主義は個人の成果に対して給与を支払わなければいけないので無理して払うか、成果は無視して賃金を下げるという矛盾が発生する。

 大多数の人は元々賃金が低いので賃下げしても大した効果が出ないが、このわずかな高給取りの賃金がネックになるので非常に困ったことになってしまうと考えられる。

 余談だが、この手の経営リスクは最近の極端に高額な発明報奨金についても言える。退職後に裁判を起こされるとなると、企業は経営リスクを予測できないので、賃金をより一層抑えようとするだろう。


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[ビジネスと経済] 成果主義賃金の過ち-1.賃下げ

 今回は成果主義賃金を経営者、管理職に留めず、一般社員に広げると日本の国力が減退してしまうと私が考える理由を記そう。

1.成果主義賃金とは賃下げのこと
 [ビジネスと経済] 給与をどう見るか。
 http://blog.melma.com/00058393/20040214134716
 [ビジネスと経済] 青色LED等、高額な発明報償について

 でも触れているが、成果主義はほとんど全ての人にとって賃下げを意味する。

 成果主義で自分の給料が上がると思っている人は目を覚ました方がよい。企業が賃金配分をどれぐらい差を付けるかによって、状況はかなり変わるが、成果主義賃金で給与が上がるのは、ヘッドハンティングされるぐらい実力があるとか、会社や部門のエースだけである。ピンと来ない人もいるだろうから、ちょっと、説明しよう。

 企業や業種にもよるが、大企業の経営者であっても年収は数千万円強程度だろう。そうすると、一般社員の年収を500万円と仮定すると、賃金格差は精々3〜6倍程度である。社員間で言うと精々、2倍ぐらいの格差が付いたらいい?方である。
 ところが、成果主義賃金は優秀な人間には10倍ぐらいの賃金を払ってしまおうというものなのだ。

 これを単純化した例で考えてみよう。

1%の社員に10倍の給与を与える
2%の社員に5倍の給与を与える
5%の社員に2倍の給与を与える
 そうすると、8%の社員で、人件費の30%を占めることになり、残りの92%の社員で70%の人件費を分け合うことになる。平均してざっと25%賃金が下がる。

 勿論、社長や取締役がエース級の社員より給与が低いなんてことは考えにくいから、彼らはもっともらう。

 乱暴な試算ではあるが、これが成果主義賃金の真相と考えられる。

 そうすると、どうなるか。日本企業は国内の大衆消費者の消費に業績を大きく依存している。その消費者の可処分所得が大きく減るわけだから当然、需要は減退するので、この賃金体系が広がると、もはやかつてのような好景気は起こりにくいと考えられる。
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2004年02月29日

[ビジネスと経済] 青色LED等、高額な発明報償について

 昨今、青色LEDの中村氏の訴訟を初めとして、発明の対価としての高額な報償を払うのが、裁判や世間の流れになりつつある。
 これについての是非や金額の妥当性はかなり難しいものがあるので今回は触れないが、この流れがどのような社会の流れに繋がるかについて指摘したい。

 まず、この発明報償の考え方は、いわゆる成果主義賃金とほぼ同じ考え方にある。発明は成果だからだ。そして、このような発明報償があれば、自信がある研究者は金銭面で企業に縛られる必要性は薄れ、成果を評価してくれるところに所属しようと考えるようになる。つまり、これは終身雇用制でなく実力勝負の成果主義のアメリカ型雇用形態なのである(ただし、アメリカの発明報奨金は成果でなく雇用契約で決めているので今の流れはそれより過激かもしれない)。そうして、今、あの人材育成に熱心なトヨタ自動車まで成果主義賃金体系を導入し、それが今の流れなのであるが、成果主義賃金というのは要するに、ごく一部の人に多額の賃金や報酬を与える変わりに、95%以上の大多数の人の賃金を下げると言うことを意味するのだ。
 2/15の毎日新聞の「発言席」で、産総研ナノテクノロジー研究部門長・横山氏も巨額の報酬を受けるスター研究者を許容すれば、潜在的受益者である研究者にもリスク分担を求めて成功報酬型の給与体系への圧力が強まるのではないか。駆け出し研究者の給与は将来の巨額報償を折り込めば、より低く押さえ込まれるだろう。
 と警鐘を鳴らしている。企業というのは本能的にお金を払うのを拒絶するから、理屈では「儲かった一部を報奨金にすればいい」と言っても実際には、それ以外の人件費に手を付けると考えてまず間違いない。
 だから、このままいけば日本は確実に貧富の差が増大し、大半の人の賃金は半分程度まで落ちる。判決の善し悪しは別として、中村氏の高額な報奨金を当然だと思う人は、自分の給料が半減する時代を肯定していることに気付くべきだと思う。
posted by macwin at 16:23| 京都 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ビジネスと経済 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年02月19日

[ビジネスと経済] SDカード

 先日、免許の更新に行ったが、今回は優良運転者だったが30分の講習で終わって講習会場を出ると、すぐに係員?らしき女性たちが

「免許証をお出し下さい」

で、なんだろうと思いながら出すと、免許を何らかの用紙にコピーして出され、

「こちらにお名前と電話番号と郵便番号をご記入下さい」

なんだろうと思いながら書くと、SDカードの領収書と渡した免許証が出てきて、

「700円になります。SDカードは後日ご自宅に送付されます。」

 ・・・この間、十数秒でほとんど考える余裕が無い。勿論、断ることは可能で、怒って断っている人もいたが、物事にうるさいと自認する私も含めて、ほぼ全員が700円を支払っていた。そりゃそうだ。そこまで来たら、それまでの十数秒間に自分がやったことを否定することになるから、もういいかという気になってしまう。
 とまぁ、京都府の免許試験センターではこのようなほとんど詐欺すれすれの汚いやり方をしているので、京都の方は注意が必要だ。SDカードが欲しい人は結構だが。

 推測ではあるが、恐らく手数料払ってまでSDカードをもらう人が少ないのであろう。だから、このようにほとんど騙し打ちのようなやり方でSDカードを発行しているのだと考えられる。
 そして、SDカードを持っていると割引をしてくれる店などもあったりするのだが、その中にはレンタカーなど、確かに優良運転者であることとビジネスに関連があるものもあるが、紳士服とか全然関係ないものがちょろちょろ並んでいた。

 このSDカードの顛末を見ると、お役所は付加価値について不適切な認識がある事がわかる。

SDカードの付加価値をつけたのは誰か。
 SDカードは優良運転者を示すだけで、優良運転者という実質的な価値を生んだのはお役所ではなく、運転者である。
対価(お金)は付加価値と交換すべきものである。
 価値を生んだ運転手が、価値を生まないお役所にお金を払うのは理にかなっていない。だから、お金が必要な限り法律で強制するか今回のような詐欺すれすれの方法をとらない限り、SDカードは普及するわけが無い。
・・・ということだ。だから、700円はあくまでも発行手数料と言うことになっているのだが、誉めてあげるのに誉める相手から手数料を取るのはどうかしている。普通、表彰状を渡すのに手数料を取るか???
 あるいは、

「おまえは優秀だから、認めてやる」

みたいなお殿様なのか。でもお殿様でも誉めるときは褒美を出すだろう。

 また、先に触れた割引制度だが、一部を除いて優良運転者であることと無関係であるから、民間に「協力」してもらっているだけだろう。であれば、この割引制度が今後拡充する可能性はほとんどない。
 もしかしたら、割引した店には実際に割り引いた分相当を補填している可能性もあるが、補填分がSDカード所有者であるかの確認など、付加価値のない事務作業が発生し、官民そろって無駄な仕事である。割引制度を拡充すればするほど費用負担が大きくなり、支出のコントロールもできなくなる。

 よって、これの正解は、

「SDカードは無料で配布する」

である。優良運転者が極めて少ないことや、ほとんど無意味な割引提携店を増やす労力やコストを考えると、恐らくこれが理にかなっているし、実際にコスト的にも小さいし、優良運転者を大切に育てると言う目的にもかなっているだろう。

 官公庁は商売するにも、昔の士族の殿様商売。
posted by macwin at 12:55| 京都 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ビジネスと経済 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年01月26日

[経済] 日本の製造業の道 - 中国の台頭 -

 JMAの生産革新シンポジウムでは、大手家電メーカーがいずれも同じ事を講演していた。実のところ当初、このシンポジウムの内容はあまり期待していなかったが、行ってみてトレンドや各社の力点などが分かって、参加する価値はあったと思う。

 それに触れる前にまず、中国の台頭について考えてみよう。

 今、中国の経済成長は凄まじいので、マーケットとしての魅力と同時に人件費がべらぼうに安いので世界の製造業の脅威となっており、みんなこぞって中国に工場を建てて、中国で生産するようになってきている。
 しかし、これは為替レートによるモノが大きい。中国がいわゆる超元安にしているから、安く海外に輸出できるのである。中国は今、元安にして世界の工場を呼び込んで、技術を急速に吸収している(ちなみに、提携したらコピー商品を安く作られて大損害なんて話は沢山ある)。この調子だとあっと言う間に技術は先進国に追いつくであろう。
 しかし、将来、その元安を是正しなければいけないときが来る。そうなると、中国はマーケットとしての価値がさらに飛躍的に増大すると共に、安く作れるという利点が失われていく。
 そういうことを考えると「安く作れるから中国で作る」というビジネスモデルは、短中期的にしか成立しないと考えられる。

 で、日本の製造業に話を戻そう。

 上記の大手家電メーカーは、今のトレンドと言うのもあるだろうが、発表内容は違ってもポイントは発表資料の図も含めてほとんど全く同じであった。
 それは「垂直立ち上げ」と称されているが、一言で言うと短期開発、即フル生産である。
 具体的には、開発ノウハウと生産技術ノウハウを蓄積し、生産ラインのシミュレーション等も事前にやって最適解を予め求めておいて、一発の試作で完成して、最初から最大限の効率で100%の生産を目指すというものである。従来からコンカレントエンジニアリングと言われていたのとほぼ同等だと思う。

 で、彼らは何がしたいのか。

 これは、要するに量産品はいずれ国内生産では支えられなくなるから、一歩進んだ高付加価値商品の生産で勝負するしかない。そうなると、高度な開発力と生産技術で、ちょっとまねできないような製品をまねできないような短期間で開発、生産し、中国が追いつく前に次の製品に取りかかるというサイクルにするしか生きる道はないということだと思われる。
 だから、松下電器などは、今まで製造部門を子会社としてどんどん分社して切り離していたが、今度は電話機などを製造する生産子会社を、開発と製造と一体化させるために、本社に戻すと発表した。
 法人を分けるかまとめるかはともかく、私も製造業というのは、開発と製造が分業しているとものすごくロスが大きいので、開発と製造が一体となってビジネスをするのが良いと思うし、日本の製造業の生き残る道だと思う。
posted by macwin at 07:45| 京都 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ビジネスと経済 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

[経済] 日本経済の生きる道

 先日、JMAの生産革新シンポジウムに行った。

 私が製造業にいるからと言うのもあるが、

日本は巧みの国。技術と職人の国だから、製造業を守り育てるのが日本経済の基盤。


と言うコーディネータのコンサルが言ったことは同意できる。

 情報産業などはこれからもどんどん発展するだろう。しかし、仕事というのは何らかの価値を生産しなければいけない。となると、情報系の主要な部分は既にアメリカに軒並み押さえられてしまっている。また、情報処理そのものに付加価値がある業種や仕事というのは一部に限られる。
 別の表現をすると、情報処理技術が進歩するといわゆる「中抜き」が起こり生産者から顧客への直販が進むため、いわゆる仲介業みたいなものや商社みたいな自ら生産をしない業種は縮小していくと考えられる。
 そうなると、やはり日本の得意分野である、製造業をベースにして、情報産業を中心としたサービス業を発展させるのが妥当であろう。
posted by macwin at 07:24| 京都 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ビジネスと経済 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年01月19日

[社会] モラルとモラール

 うちの家族は新聞は即日捨てるので、残念ながら今手元に残っていないのだが、1/17の毎日新聞の「近聞遠見」という政治コラムで、またもや岩見氏が少々気になることを書いていた。

 ここで岩見氏は、「モラール」について語っている。今は無き某政治家が、戦後はモラールがどうこうという発言をしており「モラールと延ばして発音していた」と記していた。

 このコラムの文脈から断定はできないが、先の記述より岩見氏はモラールの意味を勘違いしている可能性がある。もっとも岩見氏だけでなく基の某政治家自身も間違っていたのかもしれないが、モラルとモラールは別物である。

・モラル 1 [moral]
  道徳。倫理。人生・社会に対する精神的態度。
・モラール 【morale】
 1.やる気。士気。
 2.集団の共通目標のために積極的に努力しようとする態度。士気。

 もし、岩見氏がこの区別を付けていないとしたら、文筆家として由々しきことだろう。まぁ、そこまでひどくはないかもしれませんが。

 ちなみに、岩見氏の上記コラムや座談会の発言などを読むと、ほとんど一貫した論理がない。あるいは自分の立場を相対化できず、いろんな仮定を前提としているのに自己の主張を絶対化するなど、基本的に論理性というモノは感じられない。
 まぁ、いろんなことを知っている重鎮のうんちくと割り切れば、それに応じた楽しみ方はできるが・・・。

 具体性がない批判をしても仕方がないので、次回はきちんと論評しよう。と言うわけで、次回の「近聞遠見」が楽しみだ。
posted by macwin at 01:23| 京都 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ビジネスと経済 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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