2009年11月07日

「太田光の私が総理大臣になったら」

 テレビをつけていたら、「太田光の私が総理大臣になったら」で、沖縄の米軍基地がテーマだった。以前もチラ見してつまらない番組だと思っていたがちょっと見てみたが、やっぱり、

 「これは、ひどい」

と思う。まじめな番組ではないバラエティではあるが、それでも、こういう番組は、見ないことをお薦めする。

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2009年05月02日

発信箱「正しく怖がる」

 久しぶりに、愛読している毎日新聞の発信箱についてコメントしよう。

今日の発信箱は、豚インフルエンザの流行について、怖がりすぎないようにという主旨で
内容的にはもっともだと思う(ただ、いたずらに怖がらすのはいつもマスコミであることは知っておいて欲しいと思う)。

 しかし、今までも時々指摘しているが、言葉の使い方が少々、適切ではない。

「正しく怖がる」としているが、「正しい」というのは、正しいかどうかの基準があって、基準に合うとき、正しいと言う。そのため、今回の豚インフルエンザの記事の場合、怖がり方の基準があるわけではないので、正しいという言葉を使うのはあまり適切ではない。

 しかし「適切に怖がる」とか「適度に怖がる」というのも変だ。

というのは、そもそも「怖い」という感情表現に「適切」も何もないだろうし、結論にある「冷静に向き合う」という論理的な姿勢と怖いという感情は、マッチしないからだ。

 よって、タイトルとしてのインパクトはともかく、「冷静に向き合う」ぐらいかもしれない。

 以上、内容についてではないが、新聞記者はもっともっと言葉の意味、定義、使い方に神経を使って欲しい。

参考)以前の指摘
http://macwin.seesaa.net/article/118292266.html

言葉では、今回ではないが、他にも昨今の医療崩壊で良く出てくる救急における「受診拒否」。これだとタクシーの乗車拒否みたいに好き嫌いで拒否している響きだが、実態は「受入不能」でしょう。医療の需給バランスが崩れていることが本質であって、倫理とかシステムとかそういう問題ではないはず。・・・これは余談でした。
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2008年08月24日

毎日新聞:8/24の発信箱「これでは陸連はいらない」

 ずっと書いてないので、たまには書こうと思います。
 
 本日の毎日新聞の「発信箱」で論説室の西木正氏が「これでは陸連はいらない」
という記事を書いている。私は高校時代に陸上競技をやっていただけで、西木氏の
方がより正確な情報をお持ちなのかもしれないが、違和感が強かったのでコメント
してみることにした。

 ここでは、陸上の話をするが、根本としては論説室という部署におられる西木氏の
報道者としての立場に疑問を感じた。それで良いのかマスコミ?と言うことでそれに
ついては、最後に記す。たかが小さなコラムのスポーツネタと思うなかれ。

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2007年02月25日

世界一受けたい授業

 毎週土曜日は「世界一受けたい授業」という番組を楽しく見ているが問題があるものがあったので指摘しておきます。

「週刊こどもニュースキャスター」の池上彰氏がいくつか常識の○×を解説していたがその中で2点。

・日本の子供の学力が下がっているというのは間違い。
池上氏の解説
過去の国際ランキングで日本の順位が下がっているという事実があるが、よく見ると最近の日本より上の国は過去のランキングで参加していなかった国ばかりなので実質的に順位が下がっているとは言えない。
  
問題点
 国際順位が実質下がってるわけではないということから学力が低下していないとは言えない。つまり、この場合、国際順位は無関係である。学力低下の真偽は、過去の日本の子供の学力と今の子供の学力を比べて判断するのが素直である。


・格差社会が広がっているというのは一部間違い。
池上氏の解説
 昔は複数世帯が同居していたが、今は核家族化が進んでいるので一人一人の収入が下がらなくても世帯平均の収入は下がるからそう見えている面がある。
 バブルの時はもっと格差があって今の方が格差は小さい。
問題点
 いずれも根拠となるデータ提示はなしだが、特に核家族化と世帯収入の低下は統計上の一問題を指摘しているに過ぎない。そこから論じるなら核家族の比率と世帯収入の過去20年ぐらいの推移を見て相関関係があるかを見る程度のことは必要である。また、仮に池田氏の指摘が的を得ていたとしても、一世帯を維持するための最低コストがあるわけだから、一世帯当たりの収支構造は悪化しているのは自明である。
 次にバブル期云々であるが、今の言う格差社会は「ワーキングプア」のような低所得層の拡大が争点であって、バブル期の成金との格差が争点ではない。よって、明らかな争点ずらしである。


以上から、池田氏の見解はまったくもっておかしい。

 一言で言うと、政府寄り(政府の責任ではないというような)主張である。よって、それを意図的に論点をずらして詭弁を主張しているなら論外であるし、本当に正しいと思っていっているなら能力が低すぎる。学歴を見ると慶應義塾大学経済学部卒業らしいが、経済学部がやたら数字に弱いのか、この人がやたら数字に弱いのかということだろう。
 まぁ、社会に出て思うのは学歴と能力(頭の良さを含む)はマクロ的に見ると大雑把な相関関係はあるが、個々人で見ると、ほとんど相関関係はない。

 以上から、池田氏の他の解説なども基本的にまゆつばであると思って見た方がいいだろう・・・と言うか、見る価値はないだろう。

 この番組で見ていて安心なのはやはり実証的な面が強い、理系の授業だなと感じる。
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2006年12月14日

無断引用って・・・

13日水曜日の毎日新聞朝刊7面に

「イスラエルのパレスチナ占領政策 カーター氏『南アの人種隔離と同じ』」

という記事があった。
 内容は、カーター氏がイスラエルのパレスチナ占領政策を批判する本を出したが、元側近らが事実誤認と批判しており、地図の「無断引用」疑惑が出たり、ユダヤ票を意識する民主党も「党の見解ではない」と距離を置いているというもの。
 この記事で気になるのはマスコミの著作権についての理解の甘さである

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posted by macwin at 22:19| 京都 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 書評・評論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年12月31日

[サイエンス] まったくひどいNHKの「地球大進化」

 昨日、夜ふとテレビをつけるとNHKで「地球大進化」という番組があり、人類の進化について触れていた。

http://www.nhk.or.jp/daishinka/program06.html


 科学的妥当性については詳しく批評する知識を私は持ち合わせてはいないが、科学番組としては非常に問題で、北朝鮮の科学番組「北朝鮮から出た人類の祖先。黒葡萄原人」と大差ないのではないか。

 というわけで前半のネアンデルタール人の絶滅までしか見ていないが内容の問題点を指摘しよう。



 CGアニメーション等を用いた映像化を多用していたがこれにより根拠がない推測もリアルに表現してしまっている。・・・日本人はこういうのを見ると大概無批判で信じるのだがよく考えてみよう。


 出土したのは少なくとも番組中では原人と動物の化石+αである。たったこれだけで、何とか原人は毛が薄いとか集団で狩りをしているとか草の根を掘ってたとか全く言えるはずがない。つまり、映像の大半は推測なのだ。だから、科学番組ではむやみに映像化することは強い先入観を与えるので、教育的にも科学の啓蒙、発展のためにも害悪だと私は思う。


 南アフリカで見つかった2種類の原人(共に絶滅)の食糧確保法を今、南アフリカで生きているハザ族の食糧確保法から類推。・・・類推するのはよい。仮説だから。しかし、現代人、ホモ・サピエンスであるハザ族と絶滅した原人には何も因果関係はない。それともハザ族はホモ・サピエンスが登場する前に絶滅した2種類の原人両方から食糧確保の技術を受け継いでいるのであろうか。仮説としてはあるがそれを断定的事実のように扱うのは問題だ。


 食糧危機に際して登場した2種類の原人のうち、パラントロプスは木の根っこを食べてしのいだと説明され、そのために体は頑丈であごが非常に発達(かむ力は現代人の約3倍)ということであったが生存競争を生き抜く理由として木の根っこを食べてという仮説はあまりにもお粗末すぎないか。他の原人は数百万年も飢えても真似をしなかったのか?


 また、彼らのあごが発達するまでには、現代進化論では自然選択により数百万年かかるだろうが、その発達したあごを獲得するまでの数百万年の間、彼らは他の原人に対して何の優位性もなかったのではないのか。つまり、生き残りの理由としては(この仮説が正しいとして)あごが発達したから生き残ったのではなく、根っこを食べたから生き残った(^^;)のであり、あごの発達は単なるその結果にすぎないと考える方が自然である。・・・これは進化論全般における問題である。突然変異による微少な変異の積み重ねが優位な種を生むと言うが微少な変異しか発生していない段階では何ら優位性などないのだ(もし、進化が真実と仮定すれば)。進化はメカニズム的にも化石記録からも漸進的進化とは考えにくい。グールドらが主張しているようにあるきっかけで突発的に飛躍的に進化するという方が進化のメカニズムは不明としても説明や化石記録とは付きやすい。



 北京原人。北京原人は一切の化石記録を含む証拠がない。北京原人は戦時中に発見されたが化石は紛失されたという記録しか残っていないのだ。これを一応化石があるジャワ原人などと同列で説明するのは問題である。


 ホモ・サピエンス(人類)がここまで進化したのは肉食になったからであるという仮説の断定的説明。白人の学者の説だから肉食万歳ということはないのだろうか。この説によると南アフリカの2種の原人のうち生き残った方は肉食で脳がでかかったということを論拠として肉食=脳の容量増大と番組で紹介されている。そして、ネアンデルタール人とホモ・サピエンスである我々の脳が同程度にでかいから生存競争に勝ち抜いたとされている。しかし、これも肉食との相関関係を十分説明していないので疑問である。また、確かに脳の容量が数倍の差がある場合は優位性があるだろうが、番組では実はネアンデルタール人の方が現代人より脳が大きいのに同じぐらいと説明されている。また、肉食で脳がでかくなって賢くなるならライオンとか虎はなぜ人類なみに賢くならなかったのか。ただ、ネアンデルタール人が絶滅したのはホモ・サピエンスに比べて言語能力が低かったと考えられるという仮説に基づいてホモ・サピエンスに負けたという仮説は面白かった。しかし、言語能力の差が番組で言うように古代の狩猟世界で優位性があったというのはいささか疑問である。


 言い出したらキリがないが、番組の中で事実として出てきたことは南アフリカで出土した原人などわずかな化石だけであとのは98%ぐらいは推論、仮説である。仮にこれらの仮説が番組では触れられていない多くの証拠によって支えられているとしてもそれらの解説より変なおじさんの講釈やうそのアニメーションに時間を取っているようでは無意味だ。科学番組であれば事実と推測を区別することがまず不可欠だし、仮説や推定は事実に基づいて論証しなければいけないであろう。



 結論としては、NHKの科学番組を見ると馬鹿になる。見ないようにしましょう。



[付記1]


 なお、後半を見ていないので何とも言えないがなぜ、言語能力が優れていた(と仮定されている)ホモ・サピエンスは、ルーツが一つであるのにも関わらず、こんなに言葉が違うのか私は不思議に思う。民族は語族と言われたりもするが、英語、日本語の文法の差を取り上げるまでもなく言語的特徴は著しく違う。そう考えると、旧約聖書にあるように元々一つの言語だったのが、創造主によって「意図的に」ばらばらの言語にされたという方が説明として受け入れやすい。



[付記2]


 旧約聖書では明言はされていないが当初の人間は草食であるが途中から(ノアの洪水以降)肉食が許可される。これは元々、草食であったが途中から肉食を始めたという化石研究の結果と一致する。ちなみに、ベジタリアンという人たちがいるように人間は野菜だけで生きられるし、野菜に対するアレルギー反応などは非常に少ないなどを考慮すると、本来、草食がベースというのは事実のように思える。

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2004年10月25日

[書評・評論] 新聞記者は勉強しよう。

 金曜日だったかな。毎日新聞の発信箱である記者が、アメリカは今のようにドル紙幣をじゃぶじゃぶ印刷するのがいいというような主旨の文章を書いていた。

 全く、どうかしている・・・。アメリカがドル紙幣を印刷すると、円高なのでそのドルで円が買われる。そして日銀様はそのドルでアメリカ国債を買っているはずだ。つまり、アメリカは借金大国の道をひた走っているのであって、いつかそれを返す日が来る。

 コラムを書いた記者は、お金は働いて社会的価値を生むことなしに生まれると思っているのでしょうか。お金は天から振ってこない。働いて何かを生み出して誰かがそれに対してお金を払ってくれてはじめて出てくるのだ。

 借金街道を進むことが国益というのは、あまりにも帳簿主義のエコノミストの意見に毒されていると言えよう。

 なお、余談ですが、日銀の福井総裁は海外のエコノミストを中心に評価され、速水元総裁の方が評判悪いですが、私は逆だと思いますね。日本のエコノミストは竹中大臣のように、海外のエコノミストに追随しやすい傾向が見受けられますが、海外のエコノミストって株価しか見てないんじゃないでしょうか。株価と財務諸表だけ見てもそれらは、労働による生産活動の単なる結果なので、それから経済活動が見えるというのは根本的なマチガイです。つまり、海外のエコノミストに評価されない人の方がまともということで・・・。

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2004年07月10日

[書評・評論] 正しい原則は直さない?

 最近、毎日新聞では「参院選 日本の選択」という記事でテーマを定めて、識者とおぼしき主張が違う二名の意見を掲載している。

 その7/8の記事で、東大大学院教授の船曳氏の文章で本来の主張の部分ではないが、少し面白い部分があった。

 船曳氏は改憲的護憲論だそうだが、以下のような一文がある。

「未来指向の正しい原則は直す必要はない。」

 これって、面白い日本語ですよね。毎日新聞の見出しも「正しい原則は直すな」になってるのですが、「直す」というのは悪くなったものを正しくすることを言うんじゃないでしょうか。だから、正確な表現としては、

「正しい原則は変えるな。」

だと思うわけです。うーん、東大教授の文化人類学教授やペンを武器にしている新聞がこんなのでは感心しませんねぇ。

 しかし、この「直す」から伺えることは、9条をなし崩し的に変えるべきではないとする船曳氏も毎日新聞も憲法は「直さない」といけない正しくないものだという暗黙の前提を持っているようだと言うことです。「変える」じゃないんですから。そうしますと、対する大沼氏は改憲論の立場なので、このテーマでは改憲と護憲の対比にはなりきれてない感じがします。

 あと、余談ですが、船曳教授の論旨は、以下の二つに集約されると思います。

  • 憲法の正しい部分は変えてはいけない。9条をなし崩し的に変えるべきではない。
  • 9条について、政府の先取りをする国民的議論が必要。

 正しい部分を変えてはいけないのは、万人が言えることなので大学教授としての付加価値がないですねぇ。また、国民的議論ってなんでしょうか。どういうものであって、具体的にどういう具合に進めて結論を出して憲法論議の結論としてまとめ上げるのでしょうか。それを具体的にきちんと言わないと船曳氏の主張は、実質的に何の効力もない主張だと言うことになります。抽象的な国民的議論をせよと言われてもなぁ。  机上の空論の学者先生の限界かなぁ。

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2004年06月20日

[書評・評論] 発信箱-新聞記者の資質

 6/16の毎日新聞の「発信箱」でA記者は生命倫理の問題の中で、数学者は変わり者でなんでも定義を重視すると記している。

 「生命倫理を審議する国の委員会・(中略)・・白熱する議論の最中に「倫理性というのは、定義されているのか」と唐突に発言し、会場をしーんとさせたのを目撃している。
 確かに、数学者には定義のない議論は無意味だろう。だが、生命倫理は数学とは訳が違う。」

 議論をするには、言葉が定義されているのは最低条件である。これは数学者うんぬんが風変わりだとかいうことではなく、そもそも言葉の定義が議論の参加者で統一されていなければ議論は成立しない。
 生命倫理のような複雑な問題であればなおさら、一つ一つの用語を定義していかなければ物事を議論したり積み上げていくために必要不可欠だろう。定義のないものは当然、科学(学問)的ではないため、議論の蓄積による進歩は難しい。単に議論で口のたつ人の意見が勝つだけのことである。定義を明確にして議論の土台を作らないと議論そのものが砂上の楼閣なのだ。
 そして、もし、本当にこの記者が記すように、委員会で数学者の発言が理解されなかったのであれば、委員会のメンバーは議論をする資質に根本的に欠けていることになる。
 企業活動においても、きちんとした経営がされているところは一つ一つの言葉の意味が定義されて文書化されているものだ。それができていないところは物事の洞察がそもそも浅いため良い企業ではない。例えば、製造業において「整理、整頓、清掃」という言葉はすべて専門用語として一般用語とは別に意味がきちんと定義されている。
 つまり、言葉の定義は学問の世界や文系理系などには関わらず、社会活動におけるもっとも基本的なことの一つなのである。
 毎日新聞のA記者は、最後の方で定義の必要性を感じるような文章で締めくくっているが、新聞記者という文字情報を扱うことを生業とされているのに、全くこういう基本を理解していないことが分かる。
 マスコミ関係は、報道したり掲載したりする文章や記者の質をもっと抜本的に上げるべきだと思う。政府の暴走を止められるのはマスコミぐらいしかないのだから、政府の構造改革のだらしなさを批判する前に、まず、自らの付加価値を高め、質を向上させる「改革」を進めてほしいものだ。
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2004年04月17日

[書評・評論] 「近聞遠見−粗雑すぎる靖国・違憲判決−」

 久々に近聞遠見について記そう。
最近、批評をあまりしていなかったのは、以前のように主旨も論理も意味不明と言うことが無く、内容的にも悪くないなと思っていたからで楽しませてもらっていたからである。
 また、あまり更新されていなかったネットも毎週すぐに掲載されるようになったことは好ましいことだ。
 今回は4/10掲載の「粗雑すぎる靖国・違憲判決」について、批評と言うより、反論しようと思う。

 まず、岩見氏は判決文を元に今回の違憲判決が粗雑であるとしている。司法の公正さという観点ではあながち否定できない部分もあると言えるが、靖国問題という観点では、氏は最も根本的な部分を見誤っていることを指摘したい。
 コラムから読みとれる氏の前提条件は、以下の通りである。引用する。
「8日の衆院憲法調査会の討議で、自民党の森岡正宏(衆院・比例近畿)が、『なぜ首相が、国家のために命を落とした人をまつる神社に参ってはいけないのか。1人の地裁判事が私的な気持ちを判決の名を借りて吐露し、それに対して(首相側が)控訴もできない仕組みがおかしい』と異議を唱えたが、そのとおりだ。だが、参拝をめぐる騒動の主たる原因は、中国の執ような反対圧力によるもので、いわば騒動の震源地に一般の興味が集中した結果とみるのが常識的だ。神道への信仰心が高まったわけではない。それがなぜ、援助、助長なのか。」
 上記は靖国問題についてのあくまでも氏個人の個人的見解である。と言うのは一切の論証や事実確認なしで事実と決めつけている。いきなり「常識的だ」と、人によって常識は異なるにも関わらず断定するところが特に顕著である。
 この裁判の本質とは何か。それは「政教分離」が争点だということである。それが争点なのに、森岡氏の発言のみで政教分離の判断を回避して靖国参拝は当たり前だとしてそれ以上の事実確認や論証もしないのは、論外ではないか。
 また、争点が政教分離である以上、中国等の諸外国は本質的に争点ではないし、参拝騒動の主たる原因は外交問題であるというのも氏個人、もしくは政治家の中だけの偏った価値観である。繰り返すが、靖国騒動の本質は我が国の国内問題としての「政教分離」である。
 結論から言うと、小泉首相が「内閣総理大臣 小泉純一郎」と記帳して政治的パフォーマンスを目的として(参拝後必ず談話がある)いるなら、憲法の政教分離に反するのは自明である。公人としてであれば靖国だろうと伊勢大社であろうとだめに決まっている。(ただし、個人としての参拝の自由は憲法で保証されている)
 読売新聞ならともかく、毎日新聞の重鎮が狭量な視野で特定の価値観しか認めることができずに、本質的なことを見誤りながら重箱の隅をつつくようなことを書くのは嘆かわしい。それ以前の問題だ。
 毎日新聞の重鎮には感情論や偏った「常識」に捕らわれず、マスコミらしく客観的なことを論理的に整理して記してもらいたいものである。
posted by macwin at 10:35| 京都 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 書評・評論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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