2004年03月18日

[書評・評論] 毎日新聞「発信箱」を読んで

 毎日新聞を愛読しているが、ニュース以外のコラムもよく読み、2面の発信箱も大体読んでいる。多くの著者は読んでも主張や現状把握がおかしかったり、適切であっても面白くなかったりするのだが、与良氏の時は安心して読める。

参考)関係あること、ないこと

 3/15(月)の氏の発信箱「『戒める』と言われても」を見てみよう。僅かな文章で、自民党のプロジェクトチームが憲法改正草案策定に向けてまとめたという報告書について論評されている。

 私自身はこの報告書を読んでないので事実確認はできていないが、主張は筋が通っていると思う。 氏によると、報告書には「誤った平和主義、人権意識への戒め」と書かれており、氏は

「まさか、「○○を戒める」と(憲法に)書くわけではなかろう。これをどう条文するのか。」

と誠に適切でもっともな指摘をされている。誤った平和主義や人権意識とは何かという議論以前の問題なのである。

 そして、氏は

「戒めなどという言葉が出てくる発想自体、狙っているのは「国の統制」ではないのかご私は疑うのだ。」

と指摘し、個人情報保護法が、民間の報道規制の法律にすり替えられたことを事例として挙げている。住基ネットや学校での日の丸、君が代の罰則を伴う「強制」になども考えるとこの指摘は恐らく正しい。

 そして、

「論点整理には、前文に「日本の目指すべき方向と理念」を盛り込むべきだとも書いてある。それが見えないから、私たちの国は今、混迷しているのではないのか。」

と批判している。

 与良氏の指摘だけをもとに自民党の報告書を読まずに正確な論評はできないのだが、指摘によると、要するに報告書は、

「報告書は本来、最初に整理、議論すべき我が国の目指すべき方向と理念を棚上げしている。内容的には実質、自民党が憲法を使って国民を縛ろうとする意思は明確。」

ということのようだ。
 これは家を建てることに例えて言うなら、建築会社が基礎をどうするかという大事なことをほったらかしにして、本来、お客様が決めるべき内装をどうするかばかり考えているようなものだ。

 よって、これが本当なら、自民党のプロジェクトチームは日本の方向性は実はどうでもよくて、国民を統制することに関心があると言えそうである。

 そして、そのことを喝破し、わずかな文章で指摘している、与良氏は優れた記者であると思う。


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2004年02月29日

[書評・評論] 毎日新聞の社説

 タイミングが遅すぎるのではあるが、国内総生産成長率が7%を超えたことを受けて記された、2/19の毎日新聞の社説「7%成長−介入と緩和見直すときが来た−」について記してみよう。
 結論から言うと、これも相当問題がある内容であった。

 論旨としては、まず各種の経済指標から景気が回復していることを示しながら、不安定要素が多くあるが上向き掛けているので、闇雲なデフレ対策でなく円高介入や金融緩和などもろもろを見直そうというものであるが、多くの問題があるので順次指摘したい。

 まず、内容としては軽いところから書くが、

中国のバブル崩壊などの要因で急激に(成長が)減速するかもしれない。


 今、中国はバブルとしばしば報道されることを素直に受けての記述だろう。確かに中国は製造業を中心に?急速に経済成長しているが投機的な資金も流れているようでバブル的な要素はないとは言えないだろう。
 例えば、今、中国は外資系(日本を含む)だけでなく、中国メーカーもどんどん工場をつくっており設備投資や製造する製品の生産高もかなり増えているが、そういった要因によりある非常にベーシックな素材が逼迫して世界的な供給不足になろうとしている。5年ぐらい前も携帯電話が爆発的に伸びるとき世界中からIC(半導体)が供給不足になって大騒ぎになったことがあるが、こういうとき、必ず大量に買い占めに走る人たちがいるのである。買い占めて値が十分上がったときに売り払って大儲けする。そうすると、一気に値崩れしてバブルの崩壊である。しかし、これの影響を受けるのは関係する企業の製品原価であり、確かにそういう企業の業績には響くだろうが、中国経済がバブル崩壊するとか、企業がどんどん潰れるような大事にはならないだろう。単に儲ける人と損する人がいるという程度ではないかと思う。
 よって、ある種のバブル崩壊(実際の価値以上の金額で取り引きされているものが一気に実際の価値まで暴落する)的な要因はあるが、今の中国の景気過熱は「世界の工場」と化して実際に生産を上げているのに対し、1990年代の我が国のバブル崩壊は全く付加価値が上がらない状態で投機的な土地売買を主因として景気が過熱したのであり、個々の企業は別として、マクロな経済レベルでバブル崩壊という言葉を使うのはいささか不適切ではないかと思う。
 深刻な影響を受けるとすれば、こう言うことより経済規模に対して安すぎる元安という為替相場が変わる方がはるかに大きいだろう。

 次に、極めて重大な誤りの指摘。

政府は相変わらず、デフレ克服に躍起だ。日銀は量的緩和継続の姿勢を変えていない。(中略)仮に、いまデフレだとしても需要不足は解消に向かっているとみるのが素直だろう。

 これについては議論があるだろうが、私は、

「100%間違っている」

 と指摘したい。まず、政府はデフレ克服に注力していないことに気付くべきである。政府が注力しているのはデフレ対策ではなく不良債権処理である。無理な不良債権処理は景気回復ではなくデフレを直接的に起こす。説明すると、不良債権処理を無理に進めると倒産や事業の縮小と賃金低下、失業者の増大を招くだけで、結局、我が国の富や経済力は失われデフレになるのだ。政府にダマされてはいけない。
 そして、それを緩和するために量的緩和をしている日銀は政府と無関係ではないにしても基本的に独立した存在で独自に金融政策を取っている。つまり、この社説は

「政府と日銀を混同」

しており、言語道断である。ひどいの一言に尽きる。
 次に「仮に、いまデフレだとしても…解消に向かっている」となると開いた口が塞がらない。今は間違いなく、需要<供給でありデフレである。きっと著者は毎日新聞という大企業が安泰だから、デフレはもう大丈夫だろうと錯覚しているのだろう。詳細は割愛するが、政府が本気でインフレに転換しようと思わない限り、このまま緩やかに景気回復しても賃金は下がり、失業者も増え、国内需要に頼る我が国の経済はデフレスパイラルから脱出するのはかなり困難である。逆に言えば、政府が本気でデフレを抜けようと思えば多分できるし、国債が天文学的な金額になっているので間もなくするであろう。

 最後に、この社説の最後の結論である。

政府は財政再建に踏み出し、日銀は本来の金融政策に復帰する道を探るべきである。企業も
本当のリストラ(事業の再構築)に取り組まなければいけない。

 大馬○者である。

政府が円高阻止のため円売り・ドル買い介入しても、景気の持続に資するとは考えられない。


 と言う点は、日銀と政府を完全に混同している点を除けば、賛成できる。しかし、政府の政策が現状であれば、日銀は円安介入と金融緩和以外のやれることはあまりないので(買いオペがあるが)、主張には賛成できるがだからと言って日銀にはどうしようもないように思うので、一体どうしろと言っているのかさっぱり分からない。

 また、曖昧な「財政再建」が何を意味するかにもよるが、財政は景気が回復して我が国の企業や個人の富が増えれば自然と税収が増えて解消する。また、インフレになれば借金(国債)は減る。だから、この「財政再建」が景気回復とデフレ脱却を意味するのであれば良い。しかし、もし、富が減る中で企業や国民から増税のような可処分所得を減らすような財政再建であれば間違いである。例えて言うと、面会謝絶で無菌室に入院していた人が一般病棟に戻ったら昔のようにバリバリ働けと言うようなものであり、そんなことをしたらまた無菌室行きである。

 次に「本当のリストラ」であるが、それは一体なんでしょうか。製造業はこの10年で人員削減だけではなく、相当なBPR(事業の再構築)をやっているのだが、ひょっとすると毎日新聞はまだやってないのでしょうか? とまぁ、これはちょっと嫌みであるが、現状でどういうリストラをしろと言っているのか?

 このようにこの社説は、間違った理解の元にデタラメな論を展開している。最後の結論は、要するに具体論は全くなくて、政府と日銀と企業に見直せと言っているだけで、全く付加価値がない。せめて、どのように見直せぐらいは言わないと、一杯やりながらテレビを見て批判しているおやじと同じレベルである。
 全くひどいものである。

 私は毎日新聞は好きなのであるが、こういう社説だけは御免こうむりたい。
posted by macwin at 15:48| 京都 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 書評・評論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

[書評・評論] 「近聞遠見−再び『スカートを踏む』か−」

 これも旧聞であるが、

2/21の「再び『スカートを踏む』か」
http://www.mainichi.co.jp/eye/iwami/kinbun/art/040221M091_0303101E10DC.html

について書いてみよう。

 今回は、他の近聞遠見に比べて論旨が明確な内容であると思う。

 今回、岩見氏が主張していることを私なりの言葉で要約すると大体以下の通りかと思う。

    1. 小泉首相は「改革」を掲げて、改革を推進する人選をしながらいざとなったら、スカートを踏んだり(更迭された田中元外相の外務省改革)、はしごを外してしまう(道路公団の民営化推進に委員会の崩壊)。

    1. (そのように一見大胆な改革のようで実体は中途半端なのに)「改革は成果が出ている」と自画自賛して言い張るのでそれ以上、議論が進まない。

    1. 党首討論がはずまない原因は、そのような小泉首相の政治手法にあるので、政治的な駆け引きテクニックでなく「緻密な論戦」をして欲しい。


     多少ニュアンスが違う部分があればご容赦いただきたいが、要するに、すっきりしない改革と党首討論がはずまないことから、小泉首相の政治手法に対する批判をされており、それがはっきり分かる。
     このように一般人では知り得ない政治家のコメントを織り交ぜながら、事実に基づいて、読者に対してある事を伝えようとするコラムであれば、付加価値があると思う。

     と言うわけで、私はしばしば新聞界の重鎮、岩見氏の「近聞遠見」を批判するが、このような論旨を明確にしたコラムを継続していただきたいと希望する。
  • posted by macwin at 14:39| 京都 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 書評・評論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

    2004年02月27日

    [書評・評論] 「近聞遠見」『タニマチ』が言い残したこと

     旧聞ではあるが、2/7の毎日新聞に連載された

    「近聞遠見−『タニマチ』が言い残したこと−」
    http://www.mainichi.co.jp/eye/iwami/kinbun/art/040207M103_0303101E10DC.html

    ついて記してみよう。

     今回は辛辣であるが、上記はマスコミなので批判を甘受して受けていただきたい。

     このコラムでは、小泉首相登板後の政治の様変わりを宮沢元首相の「随分きれいになった。それはいいことです。」というコメントを根拠として、1987年の右翼団体による竹下登自民党幹事長(当時)への「ほめ殺し」という嫌がらせの裏話を過去の汚い事例として紹介して、今の政治が昔のように

    ドロドロ政変への逆戻りだけはご免こうむりたいものだ。


    と結論付けている。

     しかし、このコラムには幾つかの問題がある。それは、

    政治がきれいになったかどうかの事実関係を論ぜず、宮沢氏の発言のみを根拠に事実と扱って文章を進めて結論に繋げている。一つの過去の事例を挙げているだけで、この事例だけで過去は汚いとと言う根拠にはならない。
    「ほめ殺し事件」の黒幕と思われる人を確たる根拠も無く故人である関係者の発言のみを根拠として実名で記載しており、記載したのは全員故人。
    という具合である。

     要するにこのコラムにおいては、三つの重要なことの事実関係を明確にさせることなく話を進めて結論付けているので、論旨そのものが基本的に全く成り立っていない。これは事実関係を報道するマスメディアとしては非常に問題である。

     次にモラル面であるが、

    関係政治家はすべて故人であり、故人の名誉を傷つけることを恐れるが、渡辺がそう語ったことは間違いない。


    とあるように、事実関係の裏づけも無く、死人に口無しとばかりに、故人の渡辺氏の責任の元に実名を列挙するのは誠に卑怯としか言い様がない。迷う良心があるなら実名を書くべきではなかった。

     よって、この文章の論理も主張も破綻しているのだが、一つだけ付加価値があるとすれば、文章の趣旨とは別の「ほめ殺し」にまつわる事実かどうか分からない断片的な情報だけで、事実かどうかは別として政治世界の内幕は一見するよりもっと醜いのだなということを垣間見れることぐらいである。

     以上から、今回のコラムは単に岩見氏が職務柄知っていることを新聞で自慢している以上の意味はほとんどないと言えるだろう。 
    posted by macwin at 12:42| 京都 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 書評・評論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

    2004年02月05日

    [書評・評論] 新聞の社説(続)

     2/3の毎日新聞の社説を見て、以前も2004年01月10日 [書評・評論] 新聞の社説で書いたように疑問を感じる。

     まず、最初の「パートの年金拡大」だが、パートの年金拡大を中心に年金改革が先送りされたと一方的に批判しているが、ものすごく一面的でかつ粗い論理である。例えば「3号」を不公平と決めつけて書いているが、それは誤りではないかもしれないが、今の時代、好きで専業主婦をやっているわけではない人もごまんといることを踏まえての記述であろうか。
     今、社会はデフレ(需要<供給)である。パートが増えているのは、全体の就労人口が増えていると言うより、正社員との置き換えが進んでいることである。だから年金という家計簿で見るとパートからも徴収しないとやっていけないのは分かる。しかし、マクロ的に見ると、いくらパートから徴収しても元々賃金が社員に比べて激安なので抜本的な改革なんて絶対に言えない。絆創膏を貼る程度のものでそもそも全く改革じゃないのが今の年金改革だ。
     現在の問題を解決するには需要を増大させ、デフレの脱却しかない。そうなると国民の可処分所得を増やすことが非常に重要であり、パートにまで年金を拡大すると可処分所得が減ってしまう。
     だから、パートまで年金拡大するのを反対するのは何も飲食店業界のエゴと言うより、日本経済としてみるとき妥当だと思う。

     このように社説というものは非常に荒っぽすぎて値打ちがないと思う。
    posted by macwin at 08:11| 京都 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 書評・評論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

    2004年02月04日

    [書評・評論] 関係あること、ないこと

     毎日新聞朝刊、2面に「発信箱」というコーナーがあり、いつも読んでいる。担当者によって質のバラツキがあるが、与良氏の時は比較的安心して読める。
     で、2004.2.3の「古賀議員のキャラと罪」と題して記されていたが、この中で過去の野村沙知代の似たような学歴問題のことを記し、

    ・・・とか、あまり関係ない話を思い出したりもした。

    とある。
     関係ないなら書くべきかというような見方もあるかもしれないが、当たり前でかつ適切な見識だ。野村氏の事件と古賀氏の事件はほとんど因果関係がないので類似していてもほとんど意味はない。

     では、ここで私が毎度批判している岩見氏の「近聞遠見」について考えてみると、岩見氏のコラムは因果関係がほとんどないバラバラの事象を岩見氏の頭の中で繋がったら、それを次々と並列していくところに特徴がある。
     そして並列するだけで、それらの因果関係を示して何かを解き明かすでもなく、何かを主張するわけでもない。単に並べているのである。またもや具体性が無くて申し訳ないが、先日のコラムも最後の5行ぐらいだけが主張で、それまでの文章は結論とほとんど因果関係がないことがだらだらと記されていた。

     恐らく「近聞遠見」の狙いは、何かを主張したり、解き明かしたりするのではなく、パッチワーク状に政治の世界の断片写真を読者に見せ、政治の世界を読者に垣間見せることなのであろう。
     それなら、断片写真のパッチワークだから、ある種の芸術作品であり、論理や主張は重要ではないから、一定の理解をすることができる。そして、そういう作品に対して論理や主張を求めるのはあまり意味がないことなのかもしれない。
     でも、そうであっても思うのは、言葉というのは他人に何かを伝えることである。伝えたいものがよく分からない文章というのはやはり、私には存在意義がよく見えない。
    posted by macwin at 07:59| 京都 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 書評・評論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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